本日の改訂から

帛→白

論語 帛 金文

定州竹簡論語の「白」bʰăk(入)を解釈するのは容易ではない。まず『大漢和辞典』に”絹”の語釈は載っていない。次に『春秋左氏伝』では、「公子小白」「白水」など固有名詞につけられたもののほかは、ほぼ「白圭」のように”しろい…”という修飾語で用いられたものばかり。下の一例を除き「白」単独で何ものか名詞を意味していない。

冬,王使周公閱來聘。饗有昌歜,,黑,形鹽。辭曰,國君文足昭也,武可畏也,則有備物之饗,以象其德。薦五味,羞嘉穀,鹽虎形,以獻其功。吾何以堪之。

(BC630)冬、周の襄王が周公を使いとして魯国に送ってきた。歓迎の宴会では、献立に昌歜ショウサン(菖蒲根の漬物)、、黒、塩の彫り物があった。ところが周公が断って言った。「国公は、教養を高め、武力を強めてから、宴会の献立を充実させ、その権力を示すのです。客に五味をすすめ、目出度い穀物をすすめ、塩を虎の形に彫るのは、それで権力の程を示すためです。私は頂くわけには参りません。」(『春秋左氏伝』僖公三十年2)

「黒」と並んで「白」とは何のことだか分からないが、文中で「嘉穀」に対応するから、おそらくは精白した穀物を言うのだろう。なお献立を断った理由も定かでないが、文脈から見て、「貴国は文化も軍事もまだまだでござる。こんな贅沢はやめなされ」ということだろうか。孔子生誕より80年ほど昔の話である。

『大漢和辞典』による「白」名詞の語釈は、”白色・日光・善なるもの・杯・稲・清酒・官職の無い者・素人・銀・空白・(善の)道・宦官・おくり名・姓・伯(かしら)”。このほかにも中国的オカルトである五行説に従った語釈があるが、春秋時代に五行説など無いし、そもそもバカバカしいから記さない。ともあれこれらの語釈のうち、「礼」に関わりがありそうなのは”稲・清酒・銀”だろうが、どれか一つに絞る手立てが無い。

こうした手続きを経た上で、やはり同音の「帛」の音通だろう、と解した。

音楽は礼法と並んで「礼楽」と呼び、孔子の教育論の中心だった。その理由は、情操教育によいという理由は無論のことながら、音楽に伴う歌詞の学習が、当時の国際共通語を学ぶことを兼ねたため。弟子は仕官すれば外交官として働くこともあり、貴族同士の会話では、古詩を巧みに織り込むことが必須の技能だった。上掲「白」の『春秋左氏伝』における引用例が、やはりこの事情の一例でもある。

十一月,里克殺公子卓于朝,荀息死之,君子曰,詩所謂白圭之玷,尚可磨也,斯言之玷,不可為也,荀息有焉。

(BC651)十一月、晋国の家老である里克が、仮の国君に立てられた公子卓を、朝廷で殺した。同じく家老の荀息は、一旦はためらったものの、結局先君への誓いを守って殉死した。それが諸国の政界で話題になった。

「”白たまたまきず”の歌の通りだ。傷は磨いて無いことに出来る。だが口から出た失言は、取り返すことが出来ない、と。荀息はその実例だ。」(『春秋左氏伝』僖公九年2)

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/youka/post-15431.html



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