本日の改訂から

これもまた白川博士の勝手な妄想と言うべきで、史料的根拠はかすかしかない。史実はそうでなく、孔子は若き日の屈辱を忘れはしなかったろうが、ともに社会の底辺から貴族へ成り上がろうとした者として、さらに先行者として、陽虎をよく観察し、その失敗から学んだ。

陽虎既犇齊,自齊犇晉,適趙氏。孔子聞之,謂子路曰:「趙氏其世有亂乎!」子路曰:「權不在焉,豈能為亂?」孔子曰:「非汝所知。夫陽虎親富而不親仁,有寵於季孫,又將殺之,不剋而犇,求容於齊;齊人囚之,乃亡歸晉。是齊、魯二國已去其疾。趙簡子好利而多信,必溺其說而從其謀,禍敗所終,非一世可知也。」

論語 子貢 問い 論語 孔子 せせら笑い

陽虎が斉へ逃げ、そこでも追われて晋に逃げ、趙氏の客分になった。

子貢「…だそうです。」
孔子「こりゃあ趙氏の家はしばらく荒れるな。」
子貢「なぜです? まだ陽虎が執権になったわけじゃありませんよ。」
孔子「いや荒れるな。

お前は若いから知るまいが、陽虎は権力を盗る悪ヂエばかり働いて、社交界での礼儀を知らなんだ。だから貴族のお坊ちゃんたちが、ボンヤリ鼻を垂らしている中で出世はできた。季孫家の執事に成り上がり、当主殿をあの世へ送って成り代わる寸前まで行った。

じゃが結局は袋だたきに遭って逃げ出した。斉へ逃げても、誰も引き受けなんだのは、悪い評判が広まっていたからじゃ。じゃからとっ捕まった。抜け出して晋に逃げたのは、魯や斉にとってコレ幸いというものじゃ。

趙氏の当主、簡子どのはやり手じゃが、しょせんはお坊ちゃんで、陽虎の言うがままになるじゃろう。そのせいで趙の家は数代はひどい目に遭うじゃろうが、寿命のある人間には一生かかっても、陽虎のまき散らす災いの終わりを、見届けることは出来ぬのよ。」(『孔子家語』弁物7)

春秋政界では、失脚したら殺されるのが当たり前で、殿様でさえ例外ではなかった。ところが成り上がり者の孔子は失脚しても、殺されなかったばかりか追っ手の一つも掛けられていない。そればかりか、貴族の籍すら削られなかったらしい。

放浪中も一時帰国し定公の葬儀に列席している。それは上掲に言う、「仁」=貴族界の礼儀作法や気配りに「親」しんでいたからで、陽虎の失敗の原因を「仁」の欠如にあると孔子は見ていた。仁が孔子一門の奥義となったのは、それゆえである(→論語における仁)。

大英帝国の最盛期、ヴィクトリア朝の貴族にとって、society=”社交界”の繁雑極まる礼儀作法や常識は、彼我の呼びかけの一つですらしくじると、家名に傷が付きかねない何事かだった。だから成り上がろうとする産業資本家は、莫大な富を持ちながら、その習得に必死になった。

集っている人々は誰で、目の前の相手はどんな人で、自分は相対的にどの位置にいるか。それによって言葉から服装から立ち居振る舞いまで、全部変わってくるのである。ガーター勲章が英国の最高勲章たり得る由来は、その何事かの繁雑さの度合いを、現代にまで伝えている。

論語に言う仁も同じである。”情け深さ”や”教養”といった、曖昧な言葉では決してない。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/youka/435.html

君子有勇而無義爲亂

定州竹簡論語の原文通りなら、「君勇而無義爲亂」であり、「きみいさありすぢ無からばむほんを為さん」と読むべきなのだが、君主が反乱を起こすのは理に反するし、「君」の字にふだの終了記号が無い。また定州竹簡論語の「紹介」によると、簡1枚に記された文字は19-21字だったという(『定州竹簡論語』日本語訳を参照。)

原文のままなら簡547号は、「子路問曰君子尚勇乎子曰君子義之為尚君」の18字しか無かったことになり、加えて冒頭の「子」には開始記号がある。うしろにあと2字「子有」があったか、次の簡548号にまたがって2字記されていたと考える状況証拠は十分に揃っている。

また対句となる「小人有勇而無義爲盜」との釣り合いを取るためには、「子有」が後ろに記されていなければならない。

  • 子有勇而無義爲亂。
  • 小人有勇而無義爲盜。

子路問曰君子尙勇乎子曰君子義之為尚君簡547号

勇而無義爲亂小人有………………………簡548号

……義爲盜子貢曰君子亦有□子曰有□……簡549号

ただし簡548号と549号にまたがる解読不能部分「…」には「勇而無」の3字しか無かったことになり、簡2枚の字数が少なすぎる問題は残るが、どうなっていたかは想像の手立てが無い。シュワルツシルト半径の向こうと同じである。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/youka/457.html

子路治蒲,見於孔子曰:「由願受教於夫子。」子曰:「蒲其何如?」對曰:「邑多壯士,又難治也。」子曰:「然。吾語爾,恭而敬,可以攝勇;寬而正,可以懷強;愛而恕,可以容困;溫而斷,可以抑姦。如此而正不難矣。」

論語 子路 驚愕 論語 孔子 せせら笑い

子路が蒲の領主になった。しばらくして孔子の滞在先に出向いて挨拶した。
孔子「蒲の町人はどうかね。」
子路「まちに武装したヤクザ者が大手を振ってうろついていて、手が付けられません。」

孔子「そうかね。じゃ、こうしなさい。領主のお前がまず腰を低くしなさい。そうすればヤクザ者も言うことを聞く。裁判は刑罰を軽めにし、法も曲げないようにしなさい。そうすれば力んでいる連中もなついてくる。人として町人を憐れみ、思いやってやりなさい。そうすれば貧乏人が支持してくれる。情けをかけるべき時にかけ、冷徹を見せるべき時に見せなさい。そうすれば悪さを働く者はいなくなる。この原則をしっかと曲げずに治めれば、手が付けられるようになるだろうよ。」(『孔子家語』致思19)

https://hayaron.kyukyodo.work/kaisetu/10tetu.html



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