本日の改訂から(2)

儒家に対する現代の常識とはうらはらに、孔子生前の一門は、本を読んだり説教をしたりするだけの文弱集団ではなかった。むしろ武闘派の集団で、これは弟子が成り上がりを目指した君子=当時の貴族が、従軍義務を負っていたからだった(→論語における「君子」)。

そして「勇」とは当時出来たての新しい言葉であり、それは当時の社会変動と無関係ではない。「勇」と同音同調で論語の時代に存在した言葉は「甬」のみで、その原義は戦車の車軸に付けた、チンチンと音を立てる小さなベルだった(論語語釈「甬」)。

論語 春秋戦国時代 戦車

驀進する戦車と共に聞こえる勇ましい音に、「力」を描き加えて、そのような力を意味する「勇」の言葉が出来た。その語感を示すには、あるいはこのような音楽がふさわしかろうか(→youtube)。イントロあたりがそれっぽく聞こえる。

もちろんそれまでにも勇気を意味する言葉はあり、例えば「奮」pi̯wən(去)は西周早期の金文から確認できる。鳥の群が一斉に飛び立つ様を示した字だった。

それとは音も字形も違う「勇」は、『春秋左氏伝』では隠公九年(BC714)年の記事が初出で、鄭国に攻め込んだ北戎との戦いに出陣した公子の言葉「勇而無剛者」=”威勢はいいがこらえ性のない連中”として記されている。だがその次に出てくる記事が孔子一門と関わりがある。

夫戰,勇氣也。一鼓作氣,再而衰,三而竭,彼竭我盈,故克之,夫大國難測也,懼有伏焉,吾視其轍亂,望其旗靡,故逐之。

春秋左氏伝 定公五年
(BC684、庶民でありながら、従軍を願い出て、荘公に軍を任されたソウケイは、攻め込んできた斉軍をみごと撃退した後に、荘公に勝利の理由を問われて答えた。)

「いくさとは勇気です。陣太鼓をひとたび打てば兵の勇気は上がりますが、二度目ではだらけ、三度目ではすっかりやる気を失っています。敵のやる気がなくなった頃合いを見て、意気盛んな我が軍をぶつけましたので、勝つことが出来ました。ただし相手は大国、どのような伏兵があるやも知れず、私は敵軍のわだちの乱れと、逃げていく旗の向きを見て、追撃したのです。」(『春秋左氏伝』荘公十年)

孔子生誕130年ほど前の記事だが、庶民だろうと能力次第で、軍を預けられる場合があった。史料にはないが、曹劌はおそらく貴族に列なったことだろう。孔子一門が春秋時代の身分制を突破する勢力として現れる下地が、この頃から出来ていたことを示している。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/youka/457.html



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