本日の改訂から

論語 孔子 せせら笑い

ただし根城破壊と貴族の不満は、少し説明がいる。三桓と総称される魯国の門閥家老三家は、国都曲阜を離れた場所に、それぞれ根拠地となる城郭都市を持っていたが、当主はふだん曲阜におり、根拠地は代官に任せた。子路も一時、季孫家の根拠地の代官を務めた。

だが子路はともかく、当時の代官は隙あらば独立をたくらんだ。論語陽貨篇5の公山不擾フジョウがその例で、手を焼いたからこそ季孫家はポッと出の孔子の弟子に代官を任せた。従って根城破壊はむしろ三桓にとって都合のよい政策で、季孫家と叔孫家の根城破壊は成功した。

だが最も早くから孔子の後ろ盾となった孟孫家(論語為政篇5)は、代官が強硬に反対し、孔子の友人でもある孟孫家の当主・孟子は、その反対を抑え込めなかった。なぜだろうか。史料では「城が対斉国防衛の拠点だから」(『史記』孔子世家18)というが、それだけではあるまい。

当時の貴族には身分差があり、上から卿・大夫・士という(→春秋時代の身分制度)。代官を務めるのは最下級の士で、貴族ではあるが領地を持たない。当然持ちたいと大勢の士は願ったろうが、孔子による公山不擾の鎮圧と三桓の根城破壊は、士分の夢を砕く行為だった。

士分は孔子に言いたかったはずである。「お前だって成り上がり者じゃないか。」そして貴族の中で士分は最も数が多い。何せ男子の都市住民は、原則として全員士分だからだ。この大勢の士分から孔子はそっぽを向かれ、士分の突き上げに困った三桓の支持も失ったのである。

この時期の孔子は、どことなくドイツ農民戦争当時のルターに似ている。「祈っている暇があったら農民を殺せ」とドイツ諸侯をけしかけたルターは、農民から「うそつき博士」と嫌われた。だが孔子は先駆者である陽虎が、貴族の習慣を無視したから失敗したと見ていた。

だから孔子は庶民の希望の星などではない。大貴族に都合のよい男として世に出たのだ。李桓子の行為は孔子の亡命に決定打となっただろうが、それは擁護しなかっただけであって、積極的にいびり出したわけではない。三桓には孔子を殺したり捕らえたりする動機がなかった。


また定公と季桓子が女楽にうつつを抜かしたのを、「まじめな孔子先生は絶望して国を去った」と解するのは間が抜けている。政治いじりがしたくてたまらない孔子にとって、殿様と筆頭家老がボケてくれればコレ幸いで、好き放題に政治いじりが楽しめるのである。

孔子は社会の底辺から身を起こし宰相格にまでなったが、その目的は贅沢にはなかった。上級貴族にもかかわらず奥さんは一人だけ、亡命中に衛の霊公から莫大な捨て扶持を貰ってもなお満足せず、衛国乗っ取りを計った(論語憲問篇20)。好きなのは財産や酒池肉林ではない。

だから「孔子る」の理由が、たかが国公と筆頭家老の色ボケであるわけがない。祭礼のお下がりを渡されなかったのは、貴族団からの排除を意味しているだろうが、それは遠回しに匂わされただけで、正式に籍を削られた記録はない。孔子は空気を読みすぎたのだろうか。

そうではない。普通に空気を読んで、嫌われたから国を出たのである。だが決してしおたれて国を出たのではない。真っ直ぐ向かったのは衛国の、縁故のある顔濁鄒親分の屋敷で、顔濁鄒は春秋諸国に傭兵を提供する国際的大親分だった。孔子はいそいそと出掛けたのである。

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なお聖王が現れると鳳凰が勝手に飛んできて歌い踊るというメルヘンは、『史記』に詳しい。もの凄く出来の悪いメルヘンなので、ウソにならない程度に、せいぜい読みやすく日本語訳してみた。

此二十二人咸成厥功:皋陶為大理,平,民各伏得其實;伯夷主禮,上下咸讓;垂主工師,百工致功;益主虞,山澤辟;棄主稷,百穀時茂;契主司徒,百姓親和;龍主賓客,遠人至;十二牧行而九州莫敢辟違;唯禹之功為大,披九山,通九澤,決九河,定九州,各以其職來貢,不失厥宜。方五千里,至于荒服。南撫交阯、北發,西戎、析枝、渠廋、氐、羌,北山戎、發、息慎,東長、鳥夷,四海之內咸戴帝舜之功。於是禹乃興九招之樂,致異物,鳳皇來翔。天下明德皆自虞帝始。

論語 史記
(舜が二十二人の家来に官職を授けると)二十二人が全員功績を挙げた。皋陶コウヨウが司法長官になると、平民や奴隷はトカゲのように這いつくばって恐れ入り、お正直なおりこうさんになった。伯夷がお作法の目付役になり、(口うるさく説教ばかりしたので、)上下の領民はうんざりしてとりあえず礼儀正しい振りをした。

垂が技官の頭になって、技官は誰もが「業績を挙げた」ことにした。益が土木長官になって、自然環境を破壊しまくった。棄が農業監督官になって、どういうわけか全ての穀物が時期通りに収穫できた。契が役人の頭になって、氏族同士の喧嘩を無いことにしてしまった。

龍が外務大臣になって、遠くの蛮族が来るようになった。(来たら色んなもんをあてがってやった挙げ句、どっさり土産をやると宣伝したのであろう。)十二人の総督が地方に赴任してから、(とんでもない見せしめに現住民が震え上がって、)中国に謀反を企む者がいなくなった。

この中でも禹の功績が最も大きく、あちこちの山を破壊して回り、後先考えずに運河を掘りまくり、大河をちゃちな堤防に閉じこめ(て大洪水の原因を作り)、自分勝手に中国全土を九つに分けて境目を区切った。

その結果、地方の役人は上から下までお真面目なおりこうさんになり、定期的に舜の所へやって来て褒美をねだるようになった。ただしあからさまに言うと首を刎ねられるので、ヒラグモのように這いつくばって「無礼者!」と言われる隙を見せなかった。

地方官の棲み着いた範囲は都から五千里の果てまでに至り、その外側に住んでいた蛮族は、ウホウホと土産欲しさに舜の所へ来るようになった。その様子を見て禹がおべんちゃらの音楽をちんちんドンドンと鳴らし、蛮族から巻き上げた変なものを並べると、呼びもしないのに、鳳凰が勝手に宮殿に飛んできた。こういうあまりにお目出度い政治は、舜から始まったのである。(『史記』五帝本紀25)

帝曰:「道吾德,乃女功序之也。」皋陶於是敬禹之德,令民皆則禹。不如言,刑從之。舜德大明。於是夔行樂,祖考至,群后相讓,鳥獸翔舞,簫韶九成,鳳皇來儀,百獸率舞,百官信諧。

史記 孔子世家 武英殿十三経注疏本
舜が禹に言った。「私が為政者の徳を実現できたのは、そなたの功績であり、その策に従ったからである。」

そこで皐陶は禹にゴマスリを始め、民を禹に預けてしまい、嫌がる民は首を刎ねた。禹に王位を譲ったという事で、舜はものすごく偉いことになり、宮廷楽師のがおべんちゃらの音楽をチンカンと奏でた。ついでに祖先にお供えをしたら、諸侯がすっかりおりこうさんになった上に、鳥獣が飛んだり跳ねたりして踊った。

そこで舜の作った曲をちんドンと奏でると、また勝手に鳳凰が飛んできて姿勢を正し、百獣は連れだって舞い踊り、百官の制度は立派に整った。(『史記』五帝本紀23あたり)

アホらしくて付き合っていられない。

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