昨日の改訂から

なお自国の古典に通じ過ぎていた下掲する毛沢東の科白は、本章をふまえているだろう。

懂得和不了解的东西要问下级,不要轻易表示赞成或反对。…我们切不可强不知以为知,要“不耻下问”,要善于倾听下面干部的意见。先做学生,然后再做先生;先向下面干部请教,然后再下命令。…下面干部的话,有正确的,也有不正确的,听了以后要加以分析。对正确的意见,必须听,并且照它做。…对下面来的错误意见也要听,根本不听是不对的;不过听了而不照它做,并且要给以批评。(『毛主席语录』北京外文出版1966年袖珍本第一刷)

論語 毛沢東
わからないことや知らないことは、下級のものに聞くようにし、かるがるしく賛成または反対の意をしめしてはならない。…われわれはけっして知らないのに知ったようなふりをしてはならないし、「下問を恥じない」ようにし、下級幹部の意見によく耳をかたむけるようにしなければならない。まず生徒になってから先生になり、まず下級の幹部に教えを乞うてから指令を出すようにする。…下級幹部の言葉には正しいものもあれば、正しくないものもあるから、聞いたうえで分析をくわえなければならない。正しい意見には、かならず耳をかたむけ、そのとおりに事をはこばなければならない。…下からくるまちがった意見にも耳をかたむけねばならない。頭から聞こうとしないのはまちがっている。そのうえ、これに批判をくわえるようにする。(日本語版『毛主席語録』北京外文出版社1972年第四刷)

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/isei/033.html

それらの記事に引き続く老子の説教も、「あまり目立つと貴族から袋叩きに遭うよ」と言っただけで、無為自然を重んじろだの、隠居せいだのとは言っていない。そもそも孔子は、役人としての教養を学びに都に来たのだ。だから老子が説いたのは、役人としての処世術である。

吾聞富貴者送人以財,仁人者送人以言。吾不能富貴,竊仁人之號,送子以言,曰:『聰明深察而近於死者,好議人者也。博辯廣大危其身者,發人之惡者也。為人子者毋以有己,為人臣者毋以有己。』

老子

老子「世間で言うじゃろ。”富豪は富を贈る。知者は言葉を贈る”とな。ワシは貧乏じゃから、富豪の真似は出来ん。代わりに知者の振りして、そなたに言葉を贈ろう。

つまりじゃな、頭が良くて察しもいいのに、”いてもうたる”と人に恨まれるのは、人の批判を言い立てるからじゃ。誰にでも分かるように言葉を切り変えて知識も豊富なのに、気が付いたら牢にいるようなのは、人の悪事を言いふらすからじゃ。

人の子たる者、この二点をやっては親を泣かすし、人の家臣たるもの、二点をやっては主君もかばってくれぬぞ。」

すでに親を亡くしていた孔子は泣かせはしなかったが、主君の定公や後援会長の孟子、筆頭家老の季桓子とは、老子の言った後半の通りになった。そうでなくては他人いじりの好きな孔子が、「まるで龍のようなお方だった」(『史記』老子伝2)と老子を讃えるわけがない。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/bisi/466c.html

どうしてこんなことになったか。それは文章にあやまりがあるに違いない。(『論語の新研究』)

訳者はそうは思わない。そもそも伝言させたとの情報は本文には無く、後半は子路のセリフと解した方が素直だろう。下掲の通り、説教は全て孔子の言葉だと、儒者がデタラメを言いふらしたのは仕方がないが、現代の読者まで孔子にあらぬ期待を掛けても、やはり仕方がない。

孔子使子路反見之,蓋欲告之以君臣之義。而丈人意子路必將復來,故先去之以滅其跡,亦接輿之意也。…(本文)…子路述夫子之意如此。


朱子「孔子は子路に戻らせて、再度会わせようとした。たぶん君臣の大義を説教したかったのだろう。そして老人は子路がまたやって来ると見抜いていた。だから先手を打って跡形も無く姿を消した。前々章の接輿がやったのと同じ手口である。…そして子路は孔子の伝言を述べた。」(『論語集注』)

宋儒のどうしようもないオカルトとメルヘンが、ここにも現れている。子路の再訪を見抜いたとは、それどこの妖怪サトリですか? そして朱子の解釈では、子供を含め誰一人居ないいおりあとで、子路が孔子の説教をブツブツと唱えたことになっている。間抜けにもほどがある。

これでは子路はまるでガキの使いだ。「師匠に伝言を命じられました。でも誰も居ませんでした。ですから独り言を言って帰ってきました。」言われた通りにすれば済むというのは、書類さえ整っていれば何をしてもいいと言う、役人根性そのものだ。宋儒はそれで国を滅ぼした。

孔子 革命家
しかも孔子は、君子は必ず仕官し、それで身分秩序が保たれる、とは思っていなかった。そもそも社会の底辺から宰相格に出世した孔子が、身分秩序の大変な破壊者で、君子=貴族に成り上がりたい平民がいれば、誰にもその技能と教養を教えたに止まる(→論語における君子)。

論語 子張 論語 孔子 たしなめ
中には子張のように有力弟子であっても、宮仕えに向いた性格でないと孔子が判断し、学者の道を勧めたふしさえある(論語為政篇18)。やはり平民から身を起こした子路が、意気投合した老人の浪人を惜しむのには理由が立つが、孔子がわざわざ説教を伝言させる動機がない。

かように論語の本章は古来議論の多い章だが、儒者のように勝手な妄想が許されるなら、どうとでも本章をこじつけられる。例えば翌日に尋ねると老人は「至則行矣」とあり、これを”すでに立ち去って行方知らずであった”と解する例がある。隠者なら朝飯前の遁走ということか?

だが子供二人と、何羽かのニワトリと共に住んでいる家を、そうホイホイと捨てられるだろうか? それに老人には逃げなければならない、一体どんなわけがあったというのか? 家を捨てたなら畑も捨てたのだろうが、せっかく草引きしたばかりの畑を、なぜ?

隠者はウルトラマンではない。「じょわ」の一言だけで、跡形も無く飛んで行けはしない。衣食住も必要で、子供がいたからにはおかみさんだっていたのだ。従来の論語センセイ方は誤読している。孔子は論語の前章とは違い、この老人を隠者としてひとかどだと評価しただけだ。

そして老人は畑仕事に出かけただけであり、子路はガキの使いではなく昨日出会った畑に移動して、お礼ついでに老人の浪人を惜しんだのだろう。それをしないでぶつぶつと独り言、または隠者の子供に伝言したと解するのは、例によって儒者のデタラメで根拠が無い。

註鄭𤣥曰留言以語丈人之二子也

鄭玄
鄭玄「老人の二人の子に伝言を託したのである。」(『論語集解義疏』)

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/bisi/467b.html



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