本日の改訂から

論語 子張
「子張、禄をもとむ」(論語為政篇18)の章があるように、子張は一門でも仕官に熱心だったことが伝わる。その子張が士族にふさわしい条件をたずねるのは十分あり得る話で、上記の検証の通り、文字的にも何とか論語時代の復元が出来る。

「図式的な言語」という評は当たってはいるが、それは「仁」を「仁義」として解釈するからで、就職のための実用的な回答としては、かえって図式的でないとよい教訓にはならないと思う。つまり二千年以上にわたる仁=仁義という誤解が、本章をつまらなくさせているのだ。

誤解の一例を挙げよう。明清交代期に世を厭うて隠居した彭大寿(魯岡)は、こう書いている。

ある人「このお説教は、役人としての心得ではないのですか?」

彭大寿「違うな。確かに儒教経典の全ては、役人としての教養でないものは無いだろう? だが出世するかどうかは時の運だ。だから自分の本性を磨き上げる習練には、出世どうこうは関係が無い。

本章で孔子先生が仰った五つの徳目は、結局はただ一つのことを言っている。人間である以上、心に違いは無いから、庶民だろうと役人だろうと、区別がどこにある? 感受性や視野の大きさは人によって違うが、修養しようとする者には、孔子先生の教えがすんなりと理解できるものだ。

理解できないのではない、しようとしないだけだ。(『魯岡或問』)

原典に当たれなかったから、この引用は『論語集釋』からの孫引きだとまず断っておく。さて「本性」とは明帝国になって帝国のイデオロギーとして採用された朱子学の物言いで、朱子始め宋儒はオカルトやメルヘンが強すぎて、何を言っているのかさっぱり分からない事が多い。

それを割り引いても、「仁」が”貴族らしさ”だと気付いていながら、それをオカルトとメルヘンで言いくるめてしまっている。だから明儒は明帝国を滅ぼしたのだが、朱子学に限らずイデオロギーとは、人をクルクルパーにして従わせる詐術だから、滅ぼすのも無理はない。

つまり滅亡の毒薬でもあるのがイデオロギーで、うっかり手を出すべきものではない。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/youka/440.html

論語 アルファー 10 論語 孔子 微笑み
アルファー:みなさんこんにちは。アルファーです!

孔子:解説の孔子じゃ。

(以下略)

https://hayaron.kyukyodo.work/koushi01/youka.html

スポンサーリンク
スポンサーリンク



スポンサーリンク



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

関連記事(一部広告含む)

スポンサーリンク
スポンサーリンク