昨日の改訂から

おしまいに、論語の本章と陽貨篇2が元となったと思われる伝説を一つ。その時代背景については、後漢というふざけた帝国を参照。

梁上の君子

時歲荒民儉,有盜夜入其室,止於梁上。寔陰見,乃起自整拂,呼命子孫,正色訓之曰:「夫人不可不自勉。不善之人未必本惡,習以性成,遂至於此。梁上君子者是矣!」盜大驚,自投於地,稽顙歸罪。寔徐譬之曰:「視君狀貌,不似惡人,宜深剋己反善。然此當由貧困。」令遺絹二匹。自是一縣無復盜竊。

後漢書 丁鴻伝
(後漢も世の末になって、霊帝の治下で政治は滅茶苦茶になった。役人だった陳ショクは勤めを辞めて隠居した。)

ある年、饑饉がひどくて民は食うにも困った。陳寔の屋敷にもある夜、泥棒が寝室に入って梁の上で寝息を窺っていた。陳寔はそれに気付き、寝床から出て衣髪を整え、家族一同を部屋に呼び寄せた。皆が集まると姿勢を正して言った。

「人はそもそも、自分で自分を助けるものだ。だから世の悪人は、運悪くそれが上手く行かなかったに過ぎない。ついつい悪事に手を染めて、それが染みついてしまって、どうにもならなくなっただけだ。いま梁の上で聞いている先生も、事は同じだよ。」

家族が一斉に見上げると、なるほど「先生」がそこに居た。泥棒は慌てふためき、ドスンと床に落ちてしまった。気を取り直して陳寔を拝み、言った。「立派な殿様とも知らねえで、俺ぁ済まねえことをしちまっただ。どうか罰してけんろ。」

陳寔「うむ、立派な心がけじゃ。やはり元々の悪党ではあるまい。貧しさがそなたをこうしただけじゃ。」使用人を呼んで上等な絹二束を渡し(貨幣の信用ががた落ちしていたため)、許してやった。この噂が轟いて、地元の県ではしばらく泥棒がいなくなったという。(『後漢書』陳寔伝44)

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/eireikou/417.html

数少ない真面目な漢学教授の一人だった魚返善雄先生は、かつてこう書いた。

「漢学はいまにほろびてしまうぞ!」 ――こんなのは根拠のないウソですが、なにか特別の目的をもっている人が、まじめな顔つきでそういうと、漢学のことをよく知らない人たちは、「そうかなあ」と思ってしまいます。(『漢文入門』)

人は危惧ゆえに、たびたび事実を否定する。この本が書かれたのは昭和三十年代で、読者対象はガキの頃の団塊世代。魚返先生の同僚どもが漢学を利権化し、団塊が押し寄せて食い荒らした結果、先生の危惧はまるまる当たった。もはや漢文が読める日本人はほとんどいない。

https://hayaron.kyukyodo.work/kaisetu/dqn3.html

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