本日の改訂から

殷の紂王
論語の本章は古来、殷最後のチュウ王が暴君だったから楽師が逃げたと解する。だが仮に本章が史実だったとしても、殷が抱えていたお雇い専門職が、攻め寄せた周を見て「こんな蛮族と付き合ってられるか」と逃げ出したと見るべき話で、紂王どうこうは一切原文に無い。

閲覧者諸賢に前提としてご存じ頂きたいのは、儒者や漢学教授が何を言おうと、文字の無い時代の夏王朝など存在せず、殷王朝も半ばでないと文字が現れないので、それ以前の歴史は作り事だ、という事実。加えて殷の紂王が暴君だったとか、酒池肉林も全部でっち上げ。

明治維新の元勲が幕末にやらかしたテロを、維新後に全て無いことにしてしまったように、殷の臣下だった周は、謀反を起こし大量殺人をした極悪非道を隠すため、紂王をむやみに「バカでスケベで贅沢で残忍だった」ともの書きに書かせた。現代人が真に受ける話ではない。

だが現中国政府は、御用学者を集めて夏殷周年表プロジェクトなるデタラメの補強をやった。頭のおかしな人間のすることで、中共にゴマをすらないと生きていけない、のでないなら、こんなでっち上げは小バカにしてせせら笑わないと、自分まで馬鹿の集まりに入ってしまう。

愚かな住民を抱える国ほど、自国の古さを誇るものだが、国の歴史はその国人だけが自分に誇ればよく、他国人に通じると思うのはガキのしわざだ。自他の人格に区別が付けられるのは、だいたい中学生ぐらいからと聞くが、大人がそれをやったら、精神医学上の病気である。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/bisi/469.html

ところが現代の日本人が、「君子」の意味を知ろうとすると大変なことになる。辞書によって言っていることが全然違うか、あれもこれもと用例を挙げて、どれが本当の「君子」か書いていないからだ。真面目な漢学教授だった魚返善雄先生ですら、次のように書いている。

「君子」といのは、「よく腹のできた人」「心の練れた人」「エチケットを身につけた人」などの意味です。(『漢文入門』)

現代中国語と漢文はおろか、英語やラテン語にまで通じた碩学が、あれこれ並べた上に「など」などと書かねばならなかった。こうなった理由はただ一つで、儒者どもがその時の都合によってデタラメに君子君子と言い募ったので、誰にも収拾がつかなくなってしまった。

https://hayaron.kyukyodo.work/kaisetu/kunsi.html

書き下し

周公しうこう魯公ろこうひていはく、君子くんしみうちほどこらば、いみじきやつこ使もちゐられうらましめゆゑしりうといみじきゆゑからば、すなはそなはるを一にんもとむるかれ。

意訳

周公が、領地に赴く魯公に言った。

「身内にひいきをするな。それなら重臣に”ケチな殿様じゃ”と恨まれずに済む。だからお前を恨んでもいない古くからの家臣を、大した理由無しに追い払うな。家臣も人の子だ、何でも出来るわけではないからな。」

解説・付記

論語の本章は上記の検討通り、文字史的に春秋時代の文と考えてよく、唯一「也」の字を句末で用いている点は、戦国時代以降の語法になる。しかし句末の語気を示す言葉は筆者のうちにいくらでも変わったり増減したりするので、これだけで捏造と断じることは出来ない。

本章を武内義雄『論語之研究』では、前章同様、篇末の付け足しと断じている。その理由は、中国儒者のデタラメを真に受けて、古来誤読したまま解釈を改めようとしなかったから。これは日本における漢学教育が、師匠のオウム返しを歴代続けていたため。

おじゃる公家 林羅山
だから漢学を家学とするおじゃる公家、読める振りをしていたくそ坊主と江戸のちんこ儒者、明治以降の漢学教授を含め、例外を除き自分で原文を解読しようとはしてこなかったし、初めて見る漢文はまるで読めないから、中国儒者のデタラメを猿真似して世間から金を取った。

だからフビライ=ハンから国書が届いたとき、五山の坊主は読めと言われて困ったはずで、おそらくは博多あたりの貿易商から、こっそり「実はこう書いてあります」と教えて貰ったのだろう。東大寺が所蔵する写しに付けられた訓点を見ると、そう疑いたくなってくる。
蒙古國牒状(クリックで拡大)

そして既存の論語本でも、「君子不施其親、不使大臣怨乎不以」を”身内を大事にするから、重臣が不満を持たない」と解する例があるが、「んなわきゃねえだろ」と誰もが思うだろう。これは中国社会の宿痾というべき身内びいきに、大義名分を与えるためのこじつけ。

身内びいきするから不満が起こるのである。動物学で類人猿を使った実験によると、サルはお貰いの絶対額より、他ザルとの差別の方に激しく怒るそうで、人間も類人猿の一つであるからには当然だ。だがそんなことも分からない連中が、デタラメな解釈を垂れ流してきた。

これもオウム返しと猿真似でよしとしていたことの副産物で、自分で考えようとしない。だがそういう本を当てにせず自文で読解すると、これが存外楽しいのである。それなりの修業は要るが、偉そうな連中の恥ずかしい裏面を覗いて罵倒するのは、金のかからない娯楽でもある。

ためしにそういう論語センセイに、「身内びいきするとどうして家臣の不満が止まるのですか?」と聞いてみるとよい。猿のさらなる猿真似で、適当な言いくるめをするのがせいぜいのはずだ。そういうすえざるを言葉丁寧におちょくってみるのは、天誅の一種でもあろう。

最後に中国のサル話を、重複を恐れず記しておく。

朝三暮四

勞神明為一,而不知其同也,謂之朝三。何謂朝三?曰狙公賦芧,曰:「朝三而莫四。」眾狙皆怒。曰:「然則朝四而莫三。」眾狙皆悅。名實未虧,而喜怒為用,亦因是也。是以聖人和之以是非,而休乎天鈞,是之謂兩行。

論語 荘子
神経をすり減らして、やっと「AとBに区別が無い」と知るのは、元々同じだと知らなかったゆえの徒労に過ぎない。これを「朝三」という。どうしてそう言うか?

サル好きのおやじが沢山サルを飼っていて、ある日「ドングリを朝に三つ、夕方に四つやろう」とサルどもに告げた。これまでより減らされたサルどもは皆キーキーと怒った。そこで「では朝に四つ、夕方に三つにしよう」と言うと、サルどもは皆喜んだ。

どちらも合計は同じなのに、怒ったり喜んだりするのは、やはりもともと同じであることを知らないからだ。だから聖人は皆を納得させるのに、こういうペテンは使わない。天の恵みも同じで、もともとえこひいきが無い。これを「うまく回っている」と言うのだ。(『荘子』斉物論6『列子』黄帝19にも同様の話があるが、その現代語訳は論語顔淵篇2付記に掲載)

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/bisi/470.html

清儒・毛奇齢も次のように記す。

毛奇齢
論語という本は、元々は孔子と弟子の言葉や行動を印、それで万世の後まで教訓をあたえようとした本だ。だがこの微子篇は、柳下恵の話(論語微子篇2)や周公の言葉(論語微子篇13)、殷の楽師・摯以下八人が逃げ出した話(論語微子篇12)などが混ざっている。

思うにこうした記述は当時の事実を魯国の人が書き記したよく練っていない情報の羅列であり、論語に関連したメモ書きと言うべきだろう。(『論語稽』巻七73)

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/bisi/471.html

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