本日の改訂から(2)

さて子張の「張」の字が論語の時代に無いことは上記したが、同音の「長」はあったし、その他の同音に「場」や「腸」などがある。この語呂合わせを笑い話に仕立てたのが、例の『笑府。』

監生方出塲。遇一故人。故人揖之。并揖路旁猪糞。生問。此臭物。揖之何為。答曰。他臭便臭。也是膓裡出來的。

論語 笑府 馮夢竜
国立大学の学生が、定期試験の会場から出てみると、たまたま知り合いに会った。知り合いは身分ある学生に丁寧なお辞儀をし、さらに道ばたに落ちていたブタの糞にも恭しく礼をした。

学生「何だってそんな臭いものにお辞儀なんかするんです?」
知人「臭いのは臭いですが、同じ”チョウ”から出てきたものですから。」(『笑府』巻一・出塲)

なお『笑府』の書かれた明代の口語では、「臭」は”…そうなふりをする”・”人をハッタリにかける”の意があり、普段からこの学生は、学歴を鼻にかけて嫌われていたのである。現代北京語でも見栄やハッタリを「チョウチア」という。

世の中のこういう部分は、存外古今東西変わらないらしい。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/sichou/472.html

事は独裁国に限らない。同じガンジーの非暴力運動も、南アでスマッツ将軍相手には成功したが、インドでダイヤー将軍を相手にすると、アムリットサルの虐殺になってしまった。同じ大英帝国の将軍にも文明人と野蛮人がいて、結局野蛮人なら人道や非暴力は通用しない

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/gakuji/006.html

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