本日の改訂から

論語の本章は、漢以降帝国のイデオロギーとなった儒家や儒者には思いも寄らぬことで、孔子の直弟子でありながら、不真面目な弟子が少なからずいたことを示している。だが学校とか塾の類は本来そういうもので、弟子が皆おりこうさんと言い張るのは、うそデタラメの世界だ。

その意味で独裁政権と帝政期の儒教は相性がよく、今世紀に入って中共が世界各地に孔子学院なるうさんくさい学校を建てて回ったのは、むべなるかなと言える。要するに「偉大なる指導者ナニガシ」と「弟子は皆おりこう」は、うそデタラメの点で非常によく似ているのだ。ブレジネフ

かつてブレジネフが挙げもしない戦功を理由に、勲章をいくつもぶら下げていたように、こういういんちきと共産主義は相性がよいが、何も真っ赤な国に限った話ではない。逃げ込んだ蒋介石が台湾で何をしたか、そして台湾人もやはり中国人であることを忘れない方がいい。

赤いのもそうでないのも揃って科学を主張したが、批判を許さない時点でオカルトだ

さて論語の本章について従来訳の最終部分「そんな人は~」は、新古の注に従った重厚な訳と言うべきで、そういう解釈もあるかなと思う。漢文には事実上文法が無いからで、大勢の人が「うまいこと言った」と感じれば、それがその時代の正統的な訳になる。古注を見よう。

人執徳能至𢎞大信道必便篤厚此人於世乃為可重若雖執徳而不𢎞雖信道而不厚此人於世不足可重如有如無故云焉能為有焉能為亡也

古注 皇侃
人は徳を大いに学んだのなら、道への信頼も厚いはずで、こう言う人は世間で重んじられる。だがろくに徳を身につけず、道への信頼もいい加減なら、世間で重んじられるわけがない。(『論語集解義疏』)

新注はやや違う。

有所得而守之太狹,則德孤;有所聞而信之不篤,則道廢。焉能為有無,猶言不足為輕重。


学びはしたが範囲が狭い。それで十分と開き直っていると、誰ともわかり合うことが出来ない。話を聞いたが小バカにしている。それでは道徳が身に付かない。だからその人に、能の有る無しは言えないし、その人の人格も判断のしようが無い。(『論語集注』)

漢文は意思の伝達という、言語のある部分の機能を放棄している。その意味で実用品と言うよりも、芸術作品に近い。それも前衛芸術で、分かる人だけに分かるものでもある。つまり文の意味は筆者にしか分からず、その筆者にも分かっていない可能性すらある。

だがあり得ない解釈を削ることは出来る。訳者がもったいを削るのもその一環だ。というわけで古注や従来訳の解釈はありではあるが、もったいの付けすぎだ。子張が言ったのはもっと単純で、不真面目で不埒な弟子は、身に付いた技能教養の程度すら判断出来ないということ。

『笑府』から一つ例を挙げよう。

一富翁世不識字。人勸以延師訓子。師至。始訓之執筆臨朱。書一畫。則訓曰一字。二畫。則訓曰二字。三畫。則訓曰三字。其子便欣然投筆。告父曰。児已都曉字義。何煩師為。乃謝去之。踰時。父擬招所親萬姓者飲令子晨起。治狀。久之不成。父趣之。其子恚曰。姓亦多矣。奈何偏姓萬。自朝至今。𦂯完得五百餘畫。

論語 笑府 馮夢竜
ある金持ち、代々字が読めないのを苦にしていた。人から「では先生を呼んで息子さんに習わせたらよい」と言われて、呼ぶことにした。先生は早速朱筆で字を書き、子供に墨でなぞらせる。

先生「これが一の字。これが二の字。これが三の字。」
子供「あ! ぼく全部わかっちゃった! 先生はもう要らないや。」
おやじはそうかと思って先生を断って帰してしまった。

しばらくして、おやじが客を呼ぶことになり、招待状を子供に書かせた。子供は夜明けから書き始めたがちっとも書き終わらない。

おやじ「ずいぶん手間がかかっているな。どうしたんだ。」
子供「よりにもよって、なんで万さんなんて姓を名乗るのかな。まだ五百しか線を引き終わらないや。」(『笑府』巻一・訓子)

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/sichou/473.html

この発憤を想定しないと、先生の鬼気迫る真面目さは理解できない。実は訳者も同じ差別を東大で受けた。世の中には公表されない「内規」があって、それは利権を占める者たちのみが知っていて、世間の批判を受け付けないまま、代々利権を受け継いでいく、とその時知った。

勉強の目的は役人になって出世することだなどと考えては、とんでもない時代錯誤です。「役人なんかになるつもりはない。ただ、東大の入学試験に合格すればいいんだ」って? それもあまり感心しませんね。なにも東大ばかりが大学じゃあるまいし…オヤオヤ、また毒舌(ドクゼツ。こきおろし)が始まりました。(魚返善雄『漢文入門』)

この一節を、何も考えずに読み飛ばした少年時代を、あるいは幸せだったと思う。

https://hayaron.kyukyodo.work/kaisetu/dqn3.html

なお司馬遼太郎は、官製の郭沫若に可愛がられて死去時に泣き濡れた追悼文を書いている。

https://hayaron.kyukyodo.work/gosyaku/syu.html#%E8%A1%86

なお『論語集釋』にはご丁寧に、子張・子夏両者の意見の違いについて、歴代の儒者がああだこうだと論じたのを、コレデモカと記しているが、どいつもこいつも、あまりに下らねえことしか言っていないので、訳す気が失せた。作法としてまだマシな新旧の注だけ記しておく。

註苞氏曰友交當如子夏汛交當如子張

包咸
包咸「友達づきあいは子夏の言う通り。世間づきあいは子張の言う通り。」(『論語集解義疏』)

子夏之言迫狹,子張譏之是也。但其所言亦有過高之病。蓋大賢雖無所不容,然大故亦所當絕;不賢固不可以拒人,然損友亦所當遠。學者不可不察。


朱子「子夏の言い分は狭すぎる。子張がくさしたのは理にかなっている。だがその言い方が鼻持ちならない。思うに大賢者なら誰でも受け入れるのだろうが、とんでもない凶状持ちなら追い払っても無理は無い。賢者でない凡俗は、人を拒むことは出来ないが、人を利用しにかかるかっこ付き”友人”なら、遠ざけても理が通る。儒学を学ぶ者は、そこの所をよく考えるといい。」(『論語集注』)

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/sichou/474.html

『論語集釋』には、歴代の儒者が本章について論じた話があまた載っている。

それらは概ね、農業や医道や占いを「小道」の範疇に入れるも「世の中に欠くべからざる」と言っており、とりわけ農業については「命の元」と記している。そして聖王の舜が、かつて農民であったことを取り挙げて、あれこれと論じている。

それらは現代の読者にとってはどうでもいいことだが、一点記しておくべきは、孔子や弟子の生前に、舜など誰も知らなかったことだ。舜は孔子より一世紀後の孟子が、顧客である斉王室の家格を高めるために、始祖としてでっち上げてやった人物で、もとより実在ではない。

なお儒者の言い分の代表として、新注を記しておく。

小道,如農圃醫卜之屬。泥,不通也。楊氏曰:「百家眾技,猶耳目鼻口,皆有所明而不能相通。非無可觀也,致遠則泥矣,故君子不為也。」

論語 楊時
朱子「小道とは、田作り、畑作、医術、占いのたぐいだ。泥とは、身動きが取れなくなることを言う。」

楊時「儒学以外の百家の学派は、耳や目や鼻や口のようなもので、みな世の中の一部を明らかにするに過ぎず、宇宙の原理に通じる道ではない。だから全く価値が無いとは言わないが、そればかりに関わっていると必ず枝葉に迷い込んで身動きが取れなくなる。だから君子はやらないのだ。」(『論語集注』)

重複を恐れず記せば、楊時は高慢ちきでワイロ取りばかりだった宋儒の中でも、極めつけの悪党で、言うことを真に受けるべき人物ではない。論語里仁篇16付記を参照。新注の記述に限るなら、学者としても低劣で、先人の言葉をまるまるパクり、高慢とオカルトで多少風味付けしただけ。

それが一世を風靡した大学者だったのだから呆れるが、戦後日本の論語業界なら、いぼぢろう先生に当たるのだろうか。だがそれがまかり通ったのは、当時の科挙に論語が必須でなかったからで、要するに好事家以外は、儒者といえども論語の古本など、見向きもしなかったのだ。

つまりまことに中国人らしい男と言ってよい。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/sichou/475.html

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