本日の改訂から

後漢初期の『白虎通義』では、論語の本章を引用して「朋友﹅﹅自遠方來」(辟雍3)と記す。参照した版本は四部叢刊版だから、必ずしも古代の論語がそうなっていた証拠にはならないが、「そうでなかった」証拠もない。
白虎通義4-158

儒者による論語原文のいじくり回しは、少なくとも後漢滅亡後までは続いた。宋儒にも濃厚にその疑いがある。現伝の論語の言葉にナニガシとあったとしても、孔子や高弟がナニガシと言った保証はない。「論語とはこういうもの」という色眼鏡を外さないと、決して論語は読み解けない。

最終的に古注を編んだのは南北朝・梁の皇侃だが、何晏の言い分を疑わしいと思ったらしく、別解を記している。

此有二釋一言古之學者為己己學得先王之道含章內映而他人不見知而我不怒此是君子之徳也有德己為所可貴又不怒人之不知故曰亦也又一通云君子易事不求備於一人故為教誨之道若人有鈍根不能知解者君子恕之而不慍怒之也為君子者亦然也

論語義疏
ここの解釈は二つある。

一つは、昔の学徒は自分のために学んだ(論語)から、いにしえの聖王が示した道を読んで、それを心に抱いて行動規範にする。他人にはそれが見えないが、それでも怒らないのが君子の徳目だ。それを身につけているのだけで満足であり、他人に怒る理由がない、という。

もう一つは、君子を主人にすると、何でも出来ることを要求してこないので仕えやすい。人を教えるにあたっても、世の中には馬鹿たれがいて全然言うことを理解しないものだが、君子は「ああ、こいつは馬鹿なんだから仕方がない」と思いやって、怒ったりしないのである。(『論語集解義疏』巻一5)


その政治的主張とは、通常言われる復古主義では全然ない。鉄器と小麦の普及という社会変動を前に、血統貴族が社会を統治しきれなくなった所へ、教育を受けた庶民を士族に成り上がらせ、行政の主役をそれらに委ねる事だった。血統貴族の公職世襲を否定したのである。

庶民にとっても迷惑だった。孔子生誕の頃まで、大多数の庶民は無税で従軍の義務も無かった(国野制)。だが庶民に教育を施し行政に組み入れるという事は、課税され徴兵され、司法の監視下に置かれることだった。だから孔子は魯国の上下から、こぞって嫌われたのである。

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論語 習 甲骨文
字形はもと羽根ではなく、掃いたり払ったりする道具のほうき二本と太陽の組み合わせ。原義はおそらく占いで甲骨をあぶった後、ひび割れを判読するためによくススを払うこと。「日」は天意を意味し、丁寧に何度も払うことを示すために、ほうきを二本描いたのだろう。

漢語多効能字庫

甲骨文は「日」の字形に賊し、「彗」の音。原義は日にさらすことで、だから「日」の字形に属す。音を借りて習慣や、学習の意となった。

甲骨文は「彗」と「日」の字形に属す。「彗」は音符。唐蘭の研究によると、甲骨文の「彗」の字形は、のちの時代の「羽」に似ているが、”はね”の意ではなく”ほうき”である。なぜなら甲骨文には「羽」の字がなく、甲骨文の「雪」の字は、「雨」の下に羽根の形を描くが、『説文解字』が「䨮」と記すように、音は「彗」であるからだ。だから「習」の「羽」も、「彗」と理解すべきだ。

(※訳注。甲骨文にも「羽」の字はあるが、羽根ペンのような字形をしており、現行字体の初出は楚系戦国文字。「彗」の甲骨文は、「羽」そっくりに描かれる。)

「彗」は「習」の音符で、「日」が語義を示す。原義は日光にさらすことで、のちに”さらす”意味は「彗」の音を持つ「熭」が示すようになり、『漢書』賈誼傳に”晴れたら物干し”とあり、『説文解字』は「熭とは干すことである」という。また「習」の字は音を借りて、小鳥が巣立つ練習を繰り返す意となり、慣れること、習慣、学習の意を生じた。

小篆の時代(秦帝国)になると、「習」は「彗」の字形から「羽」の字形に変わり、「日」も「白」と書かれるようになった。

甲骨文は繰り返すこと、重なることを意味する。『甲骨文合集』31672に、「習一卜」とあり、31673に「習二卜」とあり、31674に「習三卜」とある。「習一卜」はもう一度占うことであり、「習二卜」、「習三卜」は二度・三度占うことである。郭沫若はこれらの占いの反覆について、一度につき三個の亀甲や牛の肩甲骨を用い、三個の亀甲や牛の肩甲骨で一習となる、という。

(※訳注。郭沫若は共産党政権下で漢学のボスになり、神田の内山書店の看板を揮毫したり、司馬遼太郎を手懐けたりと、日本では名高い男だが、政治的ゴマスリがひどくて平気で研究をねじ曲げたので、信用できる人物ではない。)

戦国の竹簡では学習を意味し、郭店楚簡「性自命出」簡60-61号に、「蜀凥鼎習父兄之所樂」とあり、”一人でいるときには年長者の喜ぶようなことを真似する”の意。郭店楚簡「語叢三」簡10号に、「起習文章,嗌」とあり、劉釗は「起」が教え諭すこと、導くことを意味し、全文で”礼楽制度を教えられるといい事がある”の意とした。

「習」は後に姓氏に用いられ、『漢印文字徵』に「習封之印」とある。

(※訳注:キンペーちゃんもその一人である。)

https://hayaron.kyukyodo.work/gosyaku/syu.html#%E7%BF%92

漢語多効能字庫

金文は上に「羊」を、下に「魚」を描く。新鮮な、を意味しうる。

金文では原義で用いられ、さばきたての鳥や獣の肉や、魚の生肉を意味する。「中山王円壺」に「以取鮮蒿」”新鮮な肉を使って干物にする”とある。『周礼』庖人篇に、「庖人は六種の家畜・獣・鳥を管轄し、その善し悪しを鑑定する。ふだん生肉や干物を作り、薬味を添えて王の膳部に上せたあとで、世継ぎに膳部を捧げる」とある。注釈を書いた鄭衆は、「鮮とは生肉で、薧とは干し肉だ」という。

戦国時代の竹簡になって、”少ない”を意味するようになった。郭店楚簡の「成之聞之」に「そうすれば、言うことを聞かない民は少なくなる」とあり、『爾雅』の釈詁篇に「鮮とは少ないことである」とあり、郭璞は「少ないことを意味する」と注を付けた。

https://hayaron.kyukyodo.work/gosyaku/se.html#%E9%AE%AE

「鮮」は前漢の作とされる『周礼』でも、”生肉”の意で用いられていた。
ワーレ 生肉 庖丁

庖人:掌共六畜、六獸、六禽,辨其名物。凡其死生鮮槁之物,以共王之膳,與其薦羞之物,及後、世子之膳羞。共祭祀之好羞,共喪紀之庶羞、賓客之禽獻。

論語 周礼
庖人(宮廷司厨長)は、六種のの家畜・獣・鳥を管轄し、その善し悪しを鑑定する。ふだん生肉や干物を作り、添えて王の膳部に上せたあとで、世継ぎに膳部を捧げる。祖先祭のお供え物を作り、葬儀のお斎を作り、賓客のトリ料理を作る。(『周礼』天官冢宰88)


さて最後に、ここまで書いたことを全てぶち壊すことを書かねばならない。戦国の儒者や他学派が「巧言令色」を言わなかったことからすると、「鮮」も”少ない”の意になり得、従来訳の解釈が正しいことになる。だが疑わしきはなんとやらの原則に従い、上記のように訳した。

ただし訳者の心証では、やはり前漢儒者の作り物であるような気がしてならない。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/gakuji/003.html



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