本日の改訂から(2)

論語の本章では、「貧」の置換候補として「勻」を挙げたが、実のところ両者は声調こそ同じ平声だが、個別のカールグレン上古音に共通するのはi̯とnだけで、共通率は40%でしかない。こういう判断は50%を超えないと、「共通している」というのが図々しく聞こえる。

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ɡ w n

その「貧」に「貝」が入っていることから、漢字の「貝」をタカラガイと解し、古代では貨幣の役割を果たした、と言われる。訳者は中国貨幣史を専門としないが、管見の限り孔子の生前に、貨幣が存在したという話を聞かない。専門家の説明も、極めて歯切れがよろしくない。

「春秋戦国時代」と両時代をひとまとめにして論じても、貨幣史としては立派に通用するのだろうが、論語を読む者には困るのである。孔子の時代、すでに金属のコインがあったオリエントやギリシア、ガンジス川流域のインド古代諸王国と比べて、中国の貨幣経済は心細い。

これは旧大陸の古代文明の中で、他の文明は海によって繋がれて、盛んに他文明圏と交渉を持ったのに対し、古代中華文明は海に対して閉じており、沿岸航海はしたのだろうが、他の文明圏まで出掛けていって商売をした、という話が全くといってよいほど聞こえてこない。

ただ分かっているのは、西周早期の青銅器「利簋」に、「易又吏利金」とあり(→銘文)、王の側近だった利という人物に、「金」(春秋時代までは青銅を意味する)を与えた、とある。地殻中に銅は約0.005%しかなく、青銅に不可欠なスズに至っては、約0.00022%しかない。

鉄が約4%あると言えば、その貴重さが分かるだろうか。だが仮に青銅が貴重であり、通過「のように」用いられたとしても、それを「貨幣」と言ってよいかどうか。重量や品位を保証するなにがしかの規格と権威が無ければ、貨幣と呼ぶのをためらうしかない。

『史記』によれば、孔子も俸給を穀物で受け取った。おそらく現物支給ではなく、なにがしかの証文のようなものを与えられたと思うが、紙もない時代、木や竹の証文が当時あったとして、現在では全て腐り果ててしまい、ただの一例も出土例を聞かない。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/gakuji/015.html



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