本日の改訂から(2)

李徳裕は晩唐の時代、牛僧儒一派との激烈な政争を繰り返し、唐帝国滅亡の一因となったとされる(牛李の党争)。だが現実的手腕に長けた実務家でもあって、李徳裕ばかりが唐滅亡の原因ではない。統一中華帝国は、規模がでかいだけに少々のしくじりでは滅ばず、滅亡までにはいろいろな要因が積み重なって、つまり多臓器不全により滅びるにいたる。

唐帝国は中国に貴族制があった最後の時代で、李徳裕は趙郡李氏という指折りの名門貴族の出身だった。その先祖は戦国時代の趙の名将・李牧と言われ、鮮卑人=あぶみを持った匈奴出身の唐の帝室よりよほど毛並みがよい。そういう理由で李徳裕は科挙を受けることなく政界入りし、宰相の位にまで昇ったのだが、貴族が必ずしもアホで人格破綻者でないことの一例だろう。

なろう系ファンタジーでは、貴族と坊主はアホで人格破綻者に描かれる例が多いが、それはそれなりに現代日本の明るさを示している。池袋暴走事件が公になるまで、普通の日本人はこの国に貴族がいるとは思いも寄らなかった。だが世襲を条件としないのなら、立憲だろうと君主制に貴族がいないことはあり得ない。平成の世まで世間をだましていただけである。

現代日本の貴族は、池袋事件のように世襲でなく試験によってその地位に昇る。これは宋帝国以降の中国官僚も同じであり、そうした広義の貴族制は、必ず世襲による狭義の貴族制を願い求める。それはどうしてもそうなるものであり、東大合格者の親が東大出身であることが多いのは、人間もまた生物的要請によっておのずから世襲貴族を作る事実を示している。

だが日本の場合まだゴールキーパーがおり、それは学部入試に限れば誰でも条件は同一だという事だ。院試になると依怙贔屓で決まるが、旧ソ連や中国のように、モスクワ大や北京大の合格者が党幹部の子ばかり、ということにはなっていない。そうなるのは共産党独裁に原因の一部があるが、帝政期の中国ではそれが原因とは言いがたい。なぜなら皇帝がいるからだ。

中国の科挙合格者を出したのは、形勢戸と呼ばれる地方地主で、たいていは地方政府の干渉を阻んで半ば独立している。つまり帝権にとっては邪魔な存在だが、形勢戸がいないと役人が揃わず、帝室は帝国という店を開けない。つまり形勢戸と帝室は、反発し合いながら持ちつ持たれつの関係にある。この共生理論は、早くからの中華文明の精華でもある。

中国では太古の昔から現中共政権に至るまで、どんな山村寒村だろうと山賊海賊のたぐいがいる。なぜ絶えないかと言えば、山賊はふもとの村を決して襲わず、みかじめ料を取るだけでその額は税金より安いことが多い。税より高ければ、村人と地方役人が結託して皆殺しに来るからだ。そうならないよう地域貢献として、山賊はよそ者が村を襲うのから守りもする。

つまり「より安いお値段で良質なサービス」を提供するから、山賊海賊は地域の必要業者として扱われるわけで、下手にお上の権威を背負っている地方役人より、よほど良心的でもある。いくつかの問題山積だが、ストばかりやらかして国民の憤激を買って民営化された国鉄や、赤くないやる気のある市長が出るまでヤクザ同然だった、京都の市バスを思うとよい。

同時代人の誰より中国史に詳しかった毛沢東が、党中央やモスクワが何と言ってこようと、頑として自前の山賊を止めなかったのはその英知に習ったと言うべきで、伝統中国の山賊もお上の横暴から村人を保護する唯一の実力組織だった。現中共はそうした山賊の段階を経て、政権を取ったから革命政党と呼ばれるが、やったことは津々浦々の山賊海賊と変わらない。

ふもとに盤踞する形勢戸は、もちろん山賊とつるんでいる。だが山賊が世襲で親玉を選ばないのと同様、形勢戸も当人や子弟が科挙に受からない限り、公権力の干渉を阻めない。科挙合格者だからこそ免税など事実上の不輸不入権が与えられるので、バカ息子ばかりだとやがて形勢戸は滅ぶ運命にある。正式に徴税されたら、とうてい家を保っていけないからだ。

それゆえに頭が小ましで科挙に受かった息子は実家に対して鼻高々だが、それ以上に世間に対して鼻高々だった。我が輩は我が輩の力で役人になった、学費を出してくれた実家を除く、誰のおかげでもない。だから皇帝だろうともの知らずの馬鹿者だと腹で舌を出し、ワイロを取り公権力を私物化するのは、長い勉強に絶えた当然の報酬だと思って疑わない。

対して唐代までの世襲貴族は違う。生まれ故に尊貴であるからには、皇帝もまた生まれ故に尊貴だと思うほかなく、ワイロも取るし公権を私物化もするが、家名に傷が付くのを恐れ、貴族制社会そのものが衰えるのを恐れる。だから本物の貴族というのは、なろう系に描かれるほどバカではないし、庶民を見下しはするが、やりすぎると後難が恐ろしいと知っている。

中国史の通例がそれを示す。手の付けようのない饑饉が来ると、真っ先に役人が持てるものだけ持って逃げ出し、おまわりと兼業の兵隊は飢えた暴徒と合流して金持ち屋敷を襲う。逃げ遅れた金持ちや貴族は見るも無惨に皆殺しに遭い、屋敷の食い物を食い尽くした暴徒は、流民となって他地方に流れる。そして同じ事を繰り返す。それを貴族なら誰でも知っていた。

李徳裕が唐の帝権を脅かしていた、事実上の独立軍閥である藩鎮の鎮圧にやっきとなったのも、唐帝室が潰れれば我が身も潰れると思っていたからで、ものの考え方が科挙合格者の牛僧儒とまるで違っていた。帝政日本の文武役人同様、試験でなった役人は、国を食う対象とは見ても、護持すべき何かだとは思っていない。それは天皇に言わせた終戦の詔勅に現れている。

論語 特攻隊

「國體ヲ護持シ得テ」。連合軍に天皇制と役人天国の維持を許可され、やっと負けを認めた。日中ともに帝国というのは、帝室と役人が食うための組織である半面、もう半面は文字通り見せ物でもある。日本語の店の語源は商品を世に見せる店世棚に始まるが、帝国もまた見せ物だった。堯舜の世があったふりをしたり、テンノーがカミサマじゃと言って回ったり。

その見せ物を喜ぶ愚かな連中がいるから、いつまでたっても人界にこの見せ物は絶えない。中国やロシアが派手な軍事パレードに大枚をはたくのもその一つだし、まともな船舶用エンジンも造れないのに空母をこしらえたのもその一つだ。誰だか知らない西洋のおじさんおばさんが言ったらしい、上部構造という言葉を共同幻想と言って日本語に取り入れるまでもない。

人間に必要なのは生活の場であって国家ではない。それは貴族の方が痛感しているだろう。

https://hayaron.kyukyodo.work/fuki/ritokuyu_houtouron.html

ついでに付記すれば、日本の漢文業界にはあまりに漢文が読める者が少ないから、声を励まして言わねばならないのだが、漢学教授が担ぎ回るほどには、科挙の合格者は頭が良くない。知識が極度に文系に偏っているだけでなく、論理的な思考が出来ないからだ。つまりもの知りではあっても、考える事が出来ない。現代日本で言えば、訳者のような私立文系バカのたぐい。

中途半端なアカどもが、誰だか知らない西洋のおじさんおばさんの言葉は振り回せても、まるで自分の意見や時事の解決策が無いのと同じだ。だから動物的欲望しか主張が無く、それをどう言葉で誤魔化して人を食い物にするかだけを考えた。こんな奴らに政治や司法の判断を任せたのだから、悪政が通例になるのはむしろ当然だった。欧陽修も決してその範疇から出ない。

だからこの朋党論が馬鹿馬鹿しいのである。

延安の山賊という、まだ小店を出していた当時の毛沢東が、自分も多分に私立文系バカであるにもかかわらず、手下に同類がはびこるのを「党八股」と読んで追い払うのに躍起になった。そんな連中に要所を占められたら、末端の子分が逃げ出して、たちまちに山賊稼業に差し支えるし、他の軍閥に攻め込まれて、リアルに首をちょん切られる恐怖からだ。

私立文系バカを社会の要所に据えるな。それは中国史が実証した鉄則である。

https://hayaron.kyukyodo.work/fuki/ouyousyuu_houtouron.html



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