ドストエフスキーはバーニャを語りき

梅雨に入り気温も不快なほど上がったが、小生にとってはいいことが一つある。

それは露式風呂(バーニャ)の燃料代が安く済むことだ。陋宅の風呂にはヒーターが3つ据えてあり、流し湯用の投げ込みヒーター1kw、空気を暖めるファンヒーター、気温を維持する小さなパネルヒーター160wだ。バケツの投げ込みは適温に暖まれば引き上げてしまう。

ファンヒーターも35°に達したら止めてしまう。かように指先もハキと分からないほど加湿してしまえば、その室温で十分だからだ。これでビニール袋に入れたラジオと共に、1時間は過ごせてしまう。もちろんこまめに水は飲むが、風呂場だから蛇口から汲めばいい。

冬場だとずいぶん長くファンヒーターを焚かねばならないが、天気がこうだとあっという間に暖まる。いずれ真夏を迎えれば、そもそもパネルヒーターだけで済むかも知れない。本場ロシアも夏は暑いらしいが、まことに理にかなっていると感心もする。

「シベリアなんだからなんぼでも木ィ切ってきて焚けばいいだろ」とも思えるが、タイガの少なからぬ樹種はカバノキだという。野営に慣れているならご存じだろうが、あれは燃えるものではない。針葉樹だって切って分けて割って干すのは大変だ。

ドストエフスキーの出世作『死の家の記録』に、流刑囚がまちの風呂屋へ連れて行かれる話がある。ただで貰えるのは手桶一杯の湯と、2カペイカ銭のような小さい石鹸だけというから、少年期の小生は「やはり帝政ロシアだ。ひどいことをする」と思ったものだ。

ところがこうも書いてある。貴族の主人公は追い銭で湯を足して買い、平民出の囚人に手伝ってもらわないとならなかった。だが平民は配給だけで綺麗さっぱり体を洗ってしまえるという。これはウソではないようだ。やってみたら出来てしまった。

ただし本場同様に体をこするため、バスブラシは要る。汗をたっぷりかいた肌は、あかすりの要領で石鹸無しで垢を落とせる。帝政期の2カペイカ銭がどれほどの大きさか知らないが、まあ1円玉ほどだろう。特に清潔を必要とする部位に限るなら、それで十分と知った。



追記。『死の家の記録』は1860-1862年に発表された。1895年発行の2カペイカ(複数だから本当は2копейкиカペイキ)銭はwikipediaロシア語版によると、直径24.5mm、重さ6.6gの銅銭。23.5mm・4.5gの十円玉よりやや大きい。


日本だって変わらない。明治ごろまで東京の多摩では、芝行水といって木の細枝であかをするだけで風呂を済ませてしまったと、三田村鳶魚先生が書いている。水を湯水のように使っていると、今にひどいめに遭うぞ、とも。「江戸ものは水が切れたら眼前の餓鬼」

と京都人に笑われたともある。貴族が率いたロシア帝国軍が、存外負け戦続きなのはもっともだ。

Турецкий Гамбит. Штурм Плевны. Turkish Gambit



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