…慶大蔵論語疏では「太宰知我者」のあとの「乎」の字を欠く。従って該当の句は「太宰知我者」で終わりになる。すると文意は、現伝の通説と大きく変わることになる。
現伝論語
本文:大宰知我者乎。吾少也賤、故多能鄙事。
訓読:大宰我を知る者か。吾少きや賤し、故に鄙事に能多し。
訳文:大宰は私を理解している者なのだな。私は若い頃身分が低かった。だから雑事に有能になった。
慶大蔵論語疏
本文:大宰知我者、吾少也賤、故多能鄙事。
訓読:大宰の我を知るは、吾少きや賤しく、故に鄙事に能多かるなり。
訳文:大宰が私について知っているのは、私が若い頃身分が低かったから、雑事に有能になったことだ。
慶大本は一般に文字列が雑だから、ただの脱字の可能性はある。しかも直後に疏(注の付け足し)が続き、「孔子聞大宰之疑而云知我則許疑我非聖是也」”孔子は大宰の疑問を聞いて言ったのである。私を知るなら、つまり私が聖人でないのが正しいかどうか、少なくとも疑問を持つに違いない、と”。」
言い方が回りくどいが、孔子は自分が聖人であることに自信満々なのである。
漢帝国の帝政儒教以来、国教の地位にあった儒教に携わる儒者は、互いにどれだけ孔子にゴマをすれるかの競争になった。うまいこと言えた者が世間での評判をよくし、高い地位に就いてワイロその他の利権取り放題だったからである(論語解説「後漢というふざけた帝国」)。
後漢が滅び三国南北朝になると、中国は規模のでかいヤクザと、メルヘンおたくの儒者と、あぶない𠂊○刂の開発に余念がない道士で識字階級が占められた。従って孔子が聖人であるのは春秋の当時から世界の常識であるということになり、上掲疏のようなゴマすりに至った。
このゴマすり解釈を受けて、唐石経では論語の本章のこの句に、「乎」をつけて疏との辻褄を合わせた。だが繰り返すが慶大本は脱字である可能性はあるが、定州竹簡論語にはこの部分を欠き、現存最古の経(本文)文字列となる。物証に従い、「乎」無しに校訂して解釈した。…
本日の改訂
文化
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