崇めることでもさげすむことでもない

囗シアの専門家を称する、宦官みたいなガマガエル大名誉教授が、youtubeで囗シア人をあざけっていた。その中で、現地で個別の囗シア人をからかった体験を、いくつも嬉しそうに語っていた。時世におもねったのもあるだろうが、この宦官心底ばかにしているらしい。

小生より囗シアについてよほど詳しく、その観察には同意できる点が無くは無い。だがこういう手合いは信用できない。研究対象に惚れ込むのと同様、嘲るのもまた中途半端にしか理解出来ていない事のあらわれだからだ。理解とは崇めることでもさげすむことでもない。

対象を詳しく知って、憎悪が起きることはあるだろう。だが「敵を憎むな。判断が鈍る」である。敬意を持てないなら敵は理解出来ない。それは武道の稽古を通じて小生が教わったことでもある。だから確信している。敬意を払わない者は敬意を払われない。さげすまれて当然だ。

「他人を尊重できないなら出ていけ」 米空軍士官学校の校長



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