銅臭もしない

「銅臭がする」という故事成句がある。後漢の霊帝が売官の店を開き、銅銭五百万で宰相の位を買った男を、世間が皮肉ってそう呼んだ。かように後漢がふざけた帝国だったことは別に書いたが、ここでは昔話は関係ない。ただこの言葉は、昭和の新聞には当たり前に出ていた。

対して先日、さる大新聞で校訂の職にある若い友人に、この言葉を聞いてみたら知らないという。歎くにもくさすにも当たらない。そういう時代だからであり、孔子が二次方程式の解法を知らなかったからといって、偉人たるをいささかも損なわないのと同じである。

これは日本人にとっていいことだ。中国しか文明圏を知らなかった時代の呪縛が消え去ったからだ。加えて、長年にわたって漢学教授どもが繰り返してきたデタラメが、こうして実を結んだと言えるし、現中国の横暴と詐略と残忍が、漢籍に価値なしの裏書きを書き加えている。

だがこうは言える。日本人の中国理解は、少なくともある次元を失った。台風の際、瞬間最大風速を刻々とレポートするのには意義があるが、それだけでは「たいそう風が吹きました」でおしまいであり、台風を理解したとは言えない。今後の対策にも基礎研究にも役立たない。

中国関連の世間師が、彼の国で人事が変わるたび「共産党の序列第何位」とか得々とレポ-トするのに似ている。ある事物を理解するには、空間的に、時間的に多様な次元で観察しない限り、ただのオタク話や感想で終わる。だから世間師を、さもしい了見のたわけと断じて良い。

これは私の専門がたまたま中国だったからこう言えるのであり、おそらくは他の分野でも同じだろう。マスコミ人士や高名youtuberが高名たる理由はただの偶然だが、連中が得々としゃべる説などは話半分に聞いておけばよいし、真に受けるとバカを見る。要は自分で学ぶこと。

それしか信じられるものはない。以下、銅臭の出典とその訳文。

寔從兄烈,有重名於北州,歷位郡守、九卿。靈帝時,開鴻都門榜賣官爵,公卿州郡下至黃綬各有差。其富者則先入錢,貧者到官而後倍輸,或因常侍、阿保別自通達。是時段熲、樊陵、張溫等雖有功勤名譽,然皆先輸貨財而後登公位。烈時因傅母入錢五百萬,得為司徒。及拜日,天子臨軒,百僚畢會。帝顧謂親倖者曰:「悔不小靳,可至千萬。」程夫人於傍應曰:「崔公冀州名士,豈肯買官?賴我得是,反不知姝邪!」烈於是聲譽衰減。久之不自安,從容問其子鈞曰:「吾居三公,於議者何如?」鈞曰:「大人少有英稱,歷位卿守,論者不謂不當為三公;而今登其位,天下失望。」烈曰:「何為然也?」鈞曰:「論者嫌其銅臭。」烈怒,舉杖擊之。鈞時為虎賁中郎將,服武弁,戴鶡尾,狼狽而走。烈罵曰:「死卒,父檛而走,孝乎?」鈞曰:「舜之事父,小杖則受,大杖則走,非不孝也。」烈慚而止。烈後拜太尉。

崔寔サイショクの従兄である崔烈は、帝国の北部地方で高名となり、各地の郡(中国の郡は県より大きい)知事を歴任し、閣僚にまで出世した。霊帝の時、皇帝が鴻都門(帝都の城門。国立大学を兼ねた)で売位売官の店を開き、上は宰相から下は各省の次官・局長クラスまで、それぞれに値段を違えて売り払った。

手元に金がある者は即金で買ったが、貧乏人でも付け払いが利き、ただし支払い総額は倍になった。またそれとは別に、皇帝近くに仕える宦官や、阿保(アホウではなく皇帝側近)のコネを使って割引で買う者もいた。当時、段ケイハン陵、張温といった名臣がいて功績もあったのだが、昇進には金を出して官位を買わねばならなかった。

崔烈は霊帝の乳母とコネがあったので、割引で五百万銭を払って、司徒(宰相とも官房長官とも訳しうる)の職を買った。任命式には霊帝も出御し、百官が儀式に参加した。崔烈が雲に上るような気持でいるのを見て、霊帝はお付きの者に言った。

「もう少し値を張っておけばよかった。倍の千万銭にはなったろうに。」口利きをした乳母の程夫人がそれに答えた。「崔公は冀州の名士、銭で買わなくとも司徒にふさわしい人です。私が口添えしたから買ったまでで、そうでなければ大人しくしていたわけがありません。」だが崔烈は官職を買ったことで、かえって世間からバカにされ始めた。

時間がたつにつれ悪口ばかり耳に入るので、心細くなって息子のキンに問うた。「ワシは国家最高の官職にあるが、世間の評判はどうじゃ?」鈞曰く、「父上はかつては評判が良く、中央や地方の高官を歴任されましたので、今の官職がふさわしくない、とは誰も申しておりません。ただし。」「ただし、何じゃ?」「世間は失望しております。」「どういうわけじゃ。」

「それは、父上に銅臭がするのを嫌っているからです。」「なんじゃと!」怒った崔烈は杖を振り上げ、鈞をぶちのめそうとした。鈞はこの時近衛隊長の職にあり、いかめしく軍服をまとっていたのだが、ほうほうの体で逃げ出した。追っかけながら崔烈が怒鳴った。

「くたばれこの出来損ない! 父が罰するというのに、逃げ出すのが息子のすることか!」鈞は言い返した。「いにしえの舜王ですら、バカ親父がはたく程度は耐えましたが、大杖を振り回したら逃げました。逃げても孝行違反にはならないでしょう。」言われて崔烈はようやく黙った。崔烈はのちに太尉(元帥とも、陸軍大臣とも訳しうる)にまで上った。(『後漢書』崔駰列伝37)

この程度、手もなくすらすらと訳せない人と、漢籍を議論﹅﹅する気にはなれない。



関連記事(一部広告含む)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. […] 結果後漢は自ら滅んだ。やがて皇帝さえ金に不自由し、三国志物語の始めごろに出てくる霊帝は、堂々と「小遣いが欲しい」と世間に言い、売官の店を開いて大繁盛した。宰相の位を買った男が世間から、「銅臭がする」と嫌われたのは故事成句になっている(『後漢書』崔駰伝)。 […]

  2. […] 結果後漢は自ら滅んだ。やがて皇帝さえ金に不自由し、三国志物語の始めごろに出てくる霊帝は、堂々と「小遣いが欲しい」と世間に言い、売官の店を開いて大繁盛した。宰相の位を買った男が世間から、「銅臭がする」と嫌われたのは故事成句になっている(『後漢書』崔駰伝)。 […]