現代中国語を含めた漢文が、日本語と比べていかに簡潔かをよく示す例がある。
上掲は同じ『毛主席語録』の中国語版(左)と日本語版(右)である。両方ともほぼ同じ大きさの活字、おそらく同質の紙を用いているが、中国語版は本文が244ページに対し、日本語版は431ページある。ほぼ1.77倍の分量が、日本語を記すには必要という事だ。
現代中国語を読める者として、日本語の訳を比較すると、まことに誠実な訳がされていると感心する。ただの一字でもおろそかにすれば、よくて下放(田舎での強制労働)だったからだろうが、訳には恐らくネイティブである日本人の、相当な知識人が手伝っていると思われる。
もちろん携わった中国人も、並みの日本人程度の日本語力ではない。
話を漢文に持っていけば、毛沢東は中国の古文を自由自在に読めるだけでなく、書くことも出来た、おそらく最後の中国人だ。科挙が無くなり復活する未来も考えられない今となっては、詩文を含めた古代中世の漢文を、書ける中国人が今後現れるとは想像しがたい。
当の毛沢東は、八股文=近世の中国文語に反対する意見を表明している(「反対党八股」)。だが当人は大いに、八股文の達者だった。八股文だけなら書ける中国人は今でもいるだろうが、詩文となるとそうはいかない。それは日本でもよく宣伝された、「沁園春 雪」だけではない。
西江月「井崗山」1928年秋
山下旌旗在望,
山下の旌旗望める在り、
山頭鼓角相聞。
山頭の鼓角相い聞ゆ。
敵軍圍困萬千重,
敵軍囲み困むこと万千重、
我自巋然不動。
我れ自ら巋然たるか動か不る。
我が根拠地たる井崗山から見下ろせば、敵の軍旗がここそこに見える。
山には迎え撃つ我が軍の、ドラやチャルメラの音が響き渡る。
敵は来るも来たり、我が軍を取り囲むことなんと幾千万、
だがやれるものならやってみろ、我が軍は断じて山から動かぬぞ。
二十世紀前半の中国軍が、国府(国民党軍)かパーロー(八路軍、共産党軍)かに関わらず、ドラムやクラリオンではなく、ドラやチャルメラを鳴らしていたことは、大陸に出征した当人や、出征した家族に聞いた日本人なら、誰でも知っている。私も爺さんからそう聞いた。
ただし史実はポエムのようなわけにいかず、毛沢東は少なくとも3年後には、蒋介石軍に山を追われることになる。だが注目すべきは「困」=”囲む”で、全き古文とまでは言えないが、通常の中国語では日本語同様”困る・苦しむ”であり、”囲む”と読むにはそれなりの教養が要る。
望(ワン)・聞(ウェン)・重(チョン)・動(トン)と韻を踏むならおなおさらだ。
コメント
[…] 中国語は現代語でも、書き言葉を日本語に直すと1.8倍ほどになる。つまりそれだけ簡潔な言語だが、筆記に費用が掛かった古代ならなおさらで、論語を読むには適宜言葉を補わなければならない。ただし、根拠無く好き勝手を言ってよい、ということではない。詳細は日中『毛語録』を比較するを参照。 […]