梁*(リョウ)
(金文)論語の本章では”やな”。川の流れを一部せき止めて、魚を捕る仕掛け。初出は西周末期の金文。ただし字形は異体字の「氵刅」。現行字形の初出は晋系戦国文字。字形は「水」+「刅」”いばら”。原義不詳。ただし『大漢和辞典』に”やな”の語釈があり、トゲの多いイバラを束ねて川をせき止め、水は通すが大きな魚は通れないような仕掛けを表す字と解するのには無理が無い。
通説では川を渡る”橋”と解する。同音異調に「兩」があり、春秋時代以前の字形は橋の象形に見えなくもないから、論語の本章での「梁」は”橋”の意になりそうだが、ならばなぜ「氵兩」の字形にならなかったのか説明が付かない。西周の金文では人名に、春秋の金文では加えて穀物の”キビ”(コウリャン)の意に用いた。文献時代になると、家屋の”はり”・河を渡る”橋”の意が確認できる。詳細は論語語釈「梁」を参照。
論語の本章について”橋”と言い出したのは、古注に付け足し「疏」を記した南北朝の儒者で、「梁者以木架水上可踐渡水之處也」”梁とは木で造った川の上に架けた構造物で、川を渡れるしつらえである”と記す。記名が無いから南朝梁の皇侃による記入と解してよいが、孔子没後967年後に生まれた男である上に、どうして”橋”の意になるか説明していない。孔子没後1411年後に生まれた宋儒の邢昺も同様に”橋”説を取るが、もちろん根拠を言っていないから信用できない。