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本日の改訂

実際『史記』では、孔子は亡命すると真っ先に隣国の親分の屋敷に向かい、わらじを脱いでいる。だから頭に来たなら、朝廷でコテンパンに季氏を論破するか、その屋敷へ武装した弟子を連れて殴り込みに行くか、さっさと国外へ出るかで、ぶつぶつ愚痴を漏らすようなことはしなかった。

さらに親分に頼らずとも、魯国内の新興武装勢力・冉氏、その長老である冉耕伯牛と懇意で、一族から冉有と冉弓が弟子入りしている。また顔回子淵の実家・顔氏は、流浪の巫女の情報ネットワークを通じて諜報活動が出来た(孔門十哲の謎)。季氏の悪評を広めることだって出来たのだ。

春秋の貴族は、なろう系小説に出て来る同業と違い、家臣や領民にそっぽを向かれると、天寿も全うできない哀れな存在だった(論語雍也篇24余話「畳の上で死ねない斉公」)。筆頭家老の季孫家も、武装し諜報機関まで持つ孔子を怒らせたら、ただでは済まなかったわけだ。

論語詳解041八佾篇第三(1)八佾の庭に舞う*
論語八佾篇(1)要約:後世の創作。家老どもが思い上がった舞を舞わせた!とニセ孔子先生が怒りましたが、それを言うなら、底辺から宰相に出世した先生自身が思い上がりです。先生は革命家であっても、因習ジジイではありませんでした。論語:原文・書き下し...



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