曽子が言った。「私は日に三度我が身を省みる…。
後漢末の大儒だった蔡邕は、論語の本章を曽子ではなく孔子の発言としている。
孔子曰:「進思盡忠。」又曰:「臣事君以忠。」奉上之忠也。曰:「為人謀而不忠乎!」又曰:「忠焉能勿誨乎!」謀誨之忠也。
(後漢末、反宦官派の重鎮で、益州の刺史だった朱穆が死ぬと、郎党だった陳季珪らが議論して、忠文子という最高のおくり名を贈ろうと言い出した。同じく反宦官派だった宮内顧問官の蔡邕は、古来からのウンチクを語って”よくぞ言った!”と陳季珪らを褒めちぎった。そのついでに言った。)「孔子は言った、”誠実を尽くして忠義を尽くせ”(『孝経』事君篇)と。また、”家臣たる者忠義を主君に捧げろ”(論語八佾篇19)とも言った。こういうのは主君に対する忠義だ。また、”誰かのために考え事をしてやって、不誠実でなかったか?”(本章)、”誠実に人と付き合うなら、間違いを教えてやらないでいられようか”(論語憲問篇8)とも言った。これが他人の為に役立ってやる忠義というものだ。」(『蔡中郎集』朱公叔謚篇)
蔡邕は鄭玄・馬融ほど著名ではないが、両者を超える学識の人物で、文系オタクばかりだった当時の儒者に珍しく理系人であり、ひょろひょろの多かった役人とは異なり、従軍して功績も挙げている。また論語など儒教経典にデタラメな本が出回っているのを嘆き、定本を作ろうと時の霊帝に上奏し、のちに漢熹平石経=漢石経が建てられることになった。
論語の本章にはデタラメ極まる馬融(後漢というふざけた帝国#ふらちな後漢儒)が注を付け、曽子の発言だとしているが、上掲『蔡仲郎集』が正しいなら、蔡邕は見解を異にし、孔子の発言だと思っていたことになる。

論語詳解004学而篇第一(4)吾日に三たび*
論語学而篇(4)要約:後世の創作。孔子先生にウスノロ呼ばわりされた曽子は、他人に道徳をお説教する迷惑な人のように記されました。それがどこまで史実かは明らかではありませんが、少なくとも先生の直弟子ではありません。論語:原文・書き下し原文(唐開...

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