本日の改訂

デカブリストの乱

…もちろんデカブリストは男の集まりで、男性形で「スパスキー同盟」と言えるのに、わざわざ男でも女でもない集まり”と自称したわけ。ロシア語として表現そのものには違和感がないが、「そのうちどこからか救いが来るでしょう」の含意があり、決して「我らが祖国を救うのだ」という決意を含んだ言い方ではない。

後先考えずに武装蜂起したちゃらんぽらんや、動機がナポレオン戦争後の大軍縮*にあることを思えば、我が国の二二六事件と同じく、あまり格好いい連中ではない。


*エカテリーナ2世の末年、ロシア陸軍の総兵力は40万たっだという。次代パーヴェル1世の軍縮で35万ほどに削減された。しかしナポレオンのロシア遠征直前、次代アレクサンドル1世は戦争不可避とみてロシア陸軍の総兵力を72万人まで増やした。戦中にはさらに90万を超えたが、戦後はもちろん財政厳しく復員せねばならず、にわかで増えた若手将校には昇進が難しくなった。陸軍省は屯田兵制を進めて収拾を図ったが失敗した。その結果がデカブリストの乱だった。そもそもアレクサンドル自身が、父帝パーヴェル1世の軍縮に不満を募らせた青年将校のクーデターで即位した。「救いの同盟」は、山梨・宇垣軍縮やワシントン・ロンドン会議で昇進が難しくなって暴れ出した日本帝国陸海軍の青年将校と、反乱の動機がほぼ同じと訳者は睨んでいる。…

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/sensin/278a.html#yowa



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