論語の本章の第一句、”正直に事実の裏付けがある”とは、正直と事実がまま違う人間の世を反映している。歩いていて子猫が現れたら、猫好きにとっては「ニャンコちゃん!」と喜ぶのが「信」”正直”だが、猫嫌いにとっては「こわいこわい」、「あっちいけ」が「信」になる。
ミッドウェー海戦で大敗を喫した日本海軍は、「大勝利」とウソを大本営発表したが、「国民をがっかりさせない→既得権を失わない」という「信」に従えばこれもまた”正直”で、ただし事実の裏付けが無いから、「神国必勝」の「言」は「復」むことが出来なかった。
第二句、”敬礼の所作に常識の裏付けがある”とは、まことに有子(有若)らしい発言と言える。有子はおそらく冉有と同一人物だが(儒家の道統と有若の実像)、その出身氏族は新興武装勢力で、武力は持っていたが成り上がりで、貴族らしい常識を持った人材が一族に欠けていた。
だから長老の冉耕伯牛が孔子に接触し、教習用の戦車その他の機材・人材を提供する代わりに、一族から選ばれた若者である冉有と冉雍仲弓の教育を委ねた。つまり冉有はもと「禮」”貴族の常識”に欠けていたわけで、お辞儀一つとってもやり方が常識外れで、「恥」をかいたのだろう。
だが孔子に教わった「禮」に従えば、貴族から文句を言われなくなった。第三句も冉有らしい発言で、孔門の有力弟子として「親」”一族”ではない組織の中でも頭角を現し、また冉雍仲弓と共に孔門をまとめ、孔子没後は子貢と協力しながら指導的立場に立った。
だが有子は頭が悪かったので孔門の指導者から下ろされたと『孟子』が言い出したが、孔子の逝去から一世紀のち、すでに滅亡同然だった儒家を商材に選んで世間師稼業をした孟子の言うことを、まるまる信用するわけにはいかない。偽作を論語に押し込んだ疑惑さえ孟子にはあるからだ。
孟子が申しました。「(孔子先生が亡くなって、三年の喪が明けた。)しばらくして、子夏と子張と子游が、有若の顔が聖人に似ているからと言って、孔子と同様に師匠として仰ごうとし、曽子にも”お前もそうしろ”と言った。曽子は”いやですね。大河でジャブジャブ洗った上に、秋の陽にカンカンと晒した布のように、有若の頭の中は真っ白だ。こんな馬鹿を拝むなんてとんでもない”と言った。」(『孟子』滕文公上4)
この話は司馬遷も図に乗って、輪を掛けた話を『史記』に記しているが、司馬遷は論語その他をせっせと偽作して武帝に取り入った董仲舒の下っ端働きをした男で、ナニをちょん切られた悲劇の人ではあるが、中華役人にふさわしいウソつきであること、他の中国人と変わらない。
詳細は論語雍也篇14余話「司馬遷も中国人」を参照。いわゆる正史だからといって、必ずしも史実が書いてあるわけではない。論語郷党篇12余話「せいっ、シー」を参照。



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