ふうっ、やっと慶大蔵論語疏を解読し終えた。のたくった下手くそな文字など書きやがって。碑文サイトまでめくりまくって、えらい苦労したじゃねえか。…というわけでいい暇つぶしになった。

小生が調べた程度のことは、慶大が出した論語疏の出版物に書いてあるのだろうけど、こういう本の常で余りに高額だから買えないし、買えてもそんな価値があるとは思えない。こういうのは他人の金で漢学教授が買うもので、互いの歳暮・中元に過ぎない。
どっかの図書館へ見に行きもしないのは、見た所でがっかりするのが分かりきっているからで、つまりは小生が、漢学教授を信用していないからだ。論語雍也篇27余話「そうだ漢学教授しよう」を参照。
…慶大本による校訂の結果、メス雉ならぬめんどりに孔子の歌いかけた歌は七言となった。その調子は「ン・ンク・ル、クッ・クッ・クッ・ク」と、まさにトリを呼ぶような韻を踏む。孔子と子路が放浪した華南は、すでにニワトリ化もしていた原種、セキショクヤケイの生息地でもある。
字(声調) 山(平) 梁(平) 雌(平) 時(平) 哉(平) 時(平) 哉(平) 上古音 săn li̯aŋ tsʰi̯ăr ȡi̯əɡ tsəɡ ȡi̯əɡ tsəɡ 隋唐音 ʂăn li̯aŋ tsʰie̯ ʑi tsɑ̆i ʑi tsɑ̆i 上の表はカールグレンによる古典中国語の再建音だが、晩唐につけ加えた「雉」はdʰi̯ər(上)、ȡʰiで明らかに原詩の調子を崩す。原詩は七言絶句など南北朝以降のやかましい平仄の規則にこだわらない、ずっと平らでおおらかに伸びやかな調子で歌う七言歌だったことになる…。
…だからこそ、唐代の七言絶句は新しい調子のうたとして暇を持て余した役人などの連中に受けたのであり、孔子が七言詩を歌うのは、「五箇条の御誓文」をヘビメタで歌い上げるような珍妙に思えた。唐が開成石経を建てたのは晩唐初めで、つまり唐が傾き始めた頃だった…。

論語詳解253郷党篇第十(19)きはに色めきて’
論語郷党篇(19)要約:孔子先生が子路を連れて山遊び。めんどりが現れて遊びの気分を盛り上げます。めんどりに歌いかけた先生は、子路にえさをやらせましたが…後世の儒者は、子路がめんどりを捕らえてヤキトリにしたと濡れ衣を着せました。論語:原文・書...

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