本日の改訂

現伝の論語が作られたのは、おおむね前漢武帝期の董仲舒らのしわざと言ってよいが、時代が下って南宋に刻まれた宋版『史記』では「或問禘之說孔子曰不知知禘之說其於天下也視其掌」となっている。『史記』を編んだ司馬遷は、董仲舒より一世代は下だが同時代人。しかし宋版では新しすぎて、論語の校訂には役立たない。ただし後世の中国人による解釈は伝える。

「それもろきは~」が抜けて、”ある人が禘の解説を聞いて、孔子は知らないと答え、(それでも)天下で知っている者は、この手の平のようだと指さした”の意。知っている者の数が少ないのか、知っていたとしても自分の手の平の中に収まるほど理解が足りないのか、どちらとも解せる。

宋版『史記』には注が付いていて、実在しない孔安国は”魯国の諱(秘密の祭)である”と書き、儒者に珍しくまじめ人間だった漢儒・包咸は、”禘の意義が分かるほどの者なら、天下のことは自分の手の平を見るようにたやすく理解出来る”と書いている。喜び勇んで異教徒を焼き殺す狂信者が概してまじめであるように、まじめ人間だからといって、言っていることが当たっているとは限らない。

つまり漢儒にも宋儒にも、論語の本章の意味は分からなかったわけだ。すると本章にはがぜん史実の可能性が出てくる。董仲舒にもわけ分からん伝説だったか、わけ分からんことを董仲舒が創作して解釈権を独占し、それを利権にしようとしたかのどちらかだからだ。

董仲舒はもちろん、利権のために論語を編んだのだが、解釈権を独占出来るなら、記事は伝説でもでっち上げでも構わない。つまり伝説の方がより可能性があるわけだ。創作にはコストがかかるが、伝説ならコピペで済む。人は楽をしたい生き物だから、コピペの方が可能性が高い道理である。

コピペであれでっち上げであれ、わけ分からん「聖典」の解釈につき、「これはこうだ」と董仲舒の言うのに聞き料を取れるなら、董仲舒は儲かるというビジネスモデルである。なお『史記』の編者司馬遷は、董仲舒による論語の創作を、似たような話を書いて援護した節がある。

https://hayaron.kyukyodo.work/syokai/hatiitu/051.html#kaisetu



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